なぜイタリアなのか
こんばんは!
本日の成功日記は昨日に引き続き、イタリアのことを共有します。
昨日記載したイタリアへ行けなかったことの前になぜイタリアだったのか。
その前にうちの親父の話をしよう。
うちの親父は32歳で会社を辞め独立をした。
今の今までで会社員はいない。しかし、タイとイタリアと日本の3拠点で仕事をしている。
そんな時親父がイタリアである商売をしようと今で言うピボットする時を私は23歳の時に体験した。
親父は元々宝飾の貿易をやっている。バブルが終わり、世間の宝飾需要は低迷していく中、親父は家族でイタリアへ旅行とそんな時に出会ったのが「ムラーノ島のベネチアンガラス」だ。
母親とベネチアンガラスで商売ができるかもしれないという発想からその場で仕入れて日本でトップ以外を加工し、商売する相手は宝飾を購入する富裕層向けと大手百貨店への卸しだ。
親父の話はここまでにし、話を戻すとその時一緒に同行していた私は今まで色々な国に連れてってもらったがイタリアだけ直感でここで商売がしたい。と思った。
当時見様見真似で、親父から商品を委託してもらい女性をターゲットにベネチアンガラスのアクセサリー販売を50代以上に絞って販売したのを思い出した。
当時まだまだ日本にはベネチアンガラスをアクセサリーで販売するというのは主流でもなかった。
ましてやイタリアのムラーノ島の工房にて造られるイタリア人の伝統工芸である。
そしてその職人さんが来ているシャツ、そして街中を歩くカッコいいスーツを決めた人。
スカーフを巻き、サングラスをかけて凛と歩く女性。
全てがかっこよかった。
ただ、これだけの為にイタリアへ行きたい。学びたい。と思った。
またセンスという言葉で話すのはいいのかわからないが、かけ離れているくらいカッコよく見えた。
のちに専門学校にて勉強し、イタリアのスーツの仕立ては究極に身体の作りをしっかりと理解し、絞られたダーツ、きつくなく目に見えないゆとり、アームホルダーの縫製はまた日本とは違う丸みをきれいに描きそして動きやすくシワを極限に減らされて作られる技法だ。
繊細と言われる日本人とはまた少し違った繊細さ。
ここで尚更技術者として勉強したいと思った24歳。
しかし、27歳の時に、就労ビザがなく学生ビザだとそれまた恥ずかしい話だったが、1年保つほどの貯金がなかった。
100万くらいならまだしも400万ほど必要だと言われた。
今でこそ、金が仮になかったとしてもカナダやアメリカで過ごしてきたからこそノウハウがあるが、何も分からず調べてもわからず結局イタリアの観光ビザを3年間頑張って借金を返済し、貯めたお金を投資するには少しビビっていた。
それでも行こうと思ったが、これは挑戦ではなく無謀だ!と。可能性を信じていくべきだったかと言われればそれはその選択をしなければわからない。
しかし結果カナダやアメリカへ行ってよかったと思っている。
だからといってイタリアを諦めることはない。
今はまだいく予定すら立ててない。
それはイタリアへいくことの前に違う場所にいく必要があるからだ。
それはカナダやアメリカに行ったからその思考になった。
結果何が言いたかったかというと、私は直感を大事にしている。
その時の決断がやっぱあの時とならなければいい。
もしあの時と考えたところで取り戻すことはできない。
ならばその選択肢を自分でまた作り、今度こそその選択が出来るようなアクションにしていくべきだと思っている。